理容業界の衰退

COMPANY理容業とは元々古来ギリシャで髪の毛や髭などの身嗜みを整えていた文化がある。さらにさかのぼれば紀元前3500年前の剃刀が発見されたなど、その歴史は長いものがある長いものがある。
日本の歴史としては 古くは髪結いと言い、江戸時代から明治時代にかけては「理髪業従事者」の総称であった。その後、「髪結い床(かみゆいどこ)」という自分の店を持つ者を床屋と呼ぶようになりその店の俗称となって現在なお通用している。

明治維新の西洋文化を取り入れたのち、いわゆる床屋は日本全国に爆発的に広がった。
1971年には歴史上最多数の約26万7000千人になった。

この時の時代背景として男性は近くの床屋へ行くのが当たり前の時代であり、美容室へ男性が行くことはなかった。また今の時代のように業種も数多くなく、いわゆる近所の男性を独占できた時代である。
そのためお店を開けばお客様が来る。理容業はモノ売りや食べ物屋などのように仕入れもほとんどなく、家族経営であれば簡単に稼ぐことができた。
お客様が必要とするニーズも髪の長さを切り、髭を剃ってくれれば大丈夫であり、今のような多様化するスタイルやニーズもほとんど存在しなかった。
このような時代背景から理容師は楽に稼げる職業として広がりを見せたが、その背景から経営や勉強、将来の提案ななどを考えたりする理容師は少なかった。
これが理容師の衰退を招いていく。

理容師数がピークとなった1971年の数年前の1966年にビートルズが来日した。
この時に日本人の髪の毛に対する価値観が変わっていったと言われている。
それまでほとんど流行っていなかった男性のロングヘアーが流行っていく。
このころから段々と男性も多様化するヘアスタイルのニーズから、理容店で満足をしなくなってくる。
勉強を重ねてきた美容店へ男性が少しずつ流れていくようになる。

そして1990年代に低単価を売り出す理容店が一気に全国へ増えだした。
こうなると美容室に移動しなかったお客様もいわゆる安床へ流れ始める。

美容室へ移動したお客様はサービスの価値を求め、移動しなかったお客様の多くは単に髪の毛の長さを切ってほしい人。髭は自分でも剃れる。となると安くやってほしい方がいいに決まっている。
経済も悪化し金銭感覚もシビアになり、低単価のお店への移動が時間とともに一気に増えた。

低単価の店舗が増えたことで、市場の理容の価値も崩れ始め、段々正規料金が高くなり始める。
こうなると安床のように料金を下げる店舗も増えたが、結果的に客数も戻ることなく従来よりも減ったため
やっていけなくなる店舗も増え、どんどん理容店も減っていった。

同時に理容業のイメージも悪化していき、理容師を目指すモノも減り、親が理容師をやっていても別の業種につくモノも多くなる。

とうとう、ピークの半数を切るほどになり、もちろん美容師の数にも大差で抜かれる。
今では理容師を目指すモノは美容師の1割ほどとなり、理容学校もどんどんつぶれている。

こうしてかつては簡単に儲かる業種であった理容業もあっという間に衰退していったのだ。